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| ようこそ!このページは知る人ぞ知る(?)大木孝仁のヨットのページ!!「冷静で、落ち着きがあって・・・」と言われる私ですが、実は負けず嫌いで、やろうと思ったことは情熱をかけてやらないと気がすまない人。本気で打ち込んでいるヨットにはその性分がとことん出るみたい・・・そんな私のことを知っていただければと、また、楽しんでいただければと思い、このページを作ってみました。手に汗にぎりながら(?)楽しんでください! ■ ラジアル全日本選手権2007 リベンジならず!(佐賀県 唐津) 2007.10.27〜10.28 ■ 関西・琵琶湖選手権2007 惨敗・・・(滋賀県 彦根) 2007.10.20〜10.21 ■ 全日本選手権2007 今年は楽しめた!(北海道 江差) 2007.9.20〜9.24 ■ レーザーラジアル世界選手権(Laser Radial Men's World Championships 2007)(オランダ スケベニンゲン) 2007.7.27〜8.3 ■ ワールド(世界選手権)への道(Road to World Championships 2007) Part3 関東選手権(神奈川県 逗子) 2007.5.26〜5.27 ■ ワールド(世界選手権)への道(Road to World Championships 2007) Part2 スプリングレガッタ(三重県 津) 2007.4.21〜4.22 ■ ワールド(世界選手権)への道(Road to World Championships 2007) Part1 ミッドウィンター(鹿児島県 鹿屋) 2007.3.3〜3.4 ■ 琵琶湖選手権で2位!!(滋賀県 柳ヶ崎:琵琶湖) 2006.12.4 ■ 国体予選で3位・・・(大阪府 二色浜) 2006.7.30 ■ 春の北信越選手権で2位・・・(新潟県 柏崎) 2006.6.10〜6.11 ■ 念願叶う!芦屋フリートのポイントレースで1位!! (兵庫県 芦屋) 2006.5.21 ■ ラジアル・スプリングレガッタレースで9位でした! (石川県 羽咋) 2006.4.29〜4.30 ■ 全日本選手権で22位でした。(長野県 野尻湖) 2005.11.2〜11.6 ■ 兵庫県立海洋体育館主催のヨットレースで2位入賞しました。 2005.10.2 ■ 奈良県セーリング連盟主催のシルクロードヨットレースで4位になりました。 2005.7.17 ![]() ワールド(世界選手権)2007 昨年の7月にワールド(世界選手権)出場を果たした。大学時代最後のレースで失敗した後悔を帳消しにしたいために目標としたワールド出場。「ヨットをしたいから退社します。ワールドを目指します」と、大和ハウスでお世話になったSさんに告げてから11年経った。大学時代の失敗は消えないけれど、ようやくその後悔からは解き放たれた。 夢を実現することはすばらしいこと。努力が報われ、充実感に満たされ、究極的に自分に素直になれる瞬間。強がりもなければ、自分を卑下することもない。ただただ、その瞬間のありのままの自分がそのままで最高であることを自分自身が認めている、それが夢を実現した瞬間のように感じる。 「ワールドに出場できたら、ヨットをやめてもいい」と思っていたけれど、まだヨットは続けるつもり。夢が叶って幸せだけど、それだけではこの先の人生を生きてはいけない。幸せの気持ちを心に蒔き、ときには情熱の限りを尽くし、ときにはありったけの涙と汗を流し、また花を咲かせよう。夢の先にも、道は続いていく。 最後に、私に関わってくださったすべての方に感謝申し上げます。 2008年1月1日 ![]() 2006年琵琶湖選手権のワンシーン。 2006年ラジアルスプリングレガッタのワンシーン。太陽がまぶしい〜! 思い起こせば大学入学当初、軽い気持ちでヨット部の練習を見に行っただけなのに、「おまえ、明日から練習来るやろ?」という主将のかなり強引な勧誘に負けて始めたヨット。体育会系の厳しさに毎日30回以上は退部しようと思っていた。だけど、いつのまにか熱血のヨット部に染まり、同期のヨット部員にも恵まれ、最高の時間を過ごすことできた。 大学卒業と同時にヨットをやめるつもりだったし、一旦はヨットを完全にやめた。では、どうして今もしているかと言うと・・・学生最後の大会で、自分の成績が悪く、皆に迷惑をかけたことがひっかかっていた。あんな終わり方はどうしても納得いかない!自分が思い求めていたヨットはあんなものだったのか?自分のヨットの確かさを証明したい!! という理由で入社10ヶ月後に大和ハウス工業株式を退社することになった。「今しないと自分は後悔するかもしれない。そして、後悔したときには取り返しがつかないかもしれない。今から始めよう。」 それからが大変だった。次の仕事を探さないといけないし、乗るヨットもなければ仲間もいない。しかし、仕事は紹介でユニチカ株式会社に就職できた。肝心のヨットは不安定だった。一人でやるにしては限界があり、無理な練習から腰痛になった。ここから辛い時期を過ごすことになった。 腰痛がひどくなり、ヨットに乗れなくなった。人事移動で定休日が土・日から火・水に変わった。ヨットの活動は土・日が主体となるため、致命的であった。ヨットのない生活。休日はただぼんやりと窓から外を眺めるだけ。いい風が吹いている日には涙がこぼれそうになった。「おれ、何をしているのだろう?自分が本当にやりたいことが何もできていないじゃないか!」そんな思いを持ちながら3年ほど経った頃、所属していた部署が廃部になることになった。私はこれを機会に転職することにした。もう一度、ヨットにチャレンジしよう! 次は大京管理株式会社に就職した。前職の経験も活かせるし、土・日が定休であるので、ヨットに打ち込める。そして、この時にはヨットも購入し、芦屋フリートというヨットクラブにも所属していたので、環境は整った。意気揚々としていたが、世の中は甘くはない・・・なんと会社の定休日が土・日から火・水に変わったのだ。「おれはなんて恵まれない人間なんだろう。いや、これはきっとわがままに会社を辞めてきた報いだ。受け容れよう。」 平日、一人で海に出て、一人で練習する。競う相手がいなければなかなか上達はしない。月に一度はなんとか土・日を休むことができたので、クラブレースや日本各地のレースに参戦したが、高校生にも負けてしまう。遠征帰りの車の中で、「もう止めよう」と何度も思った。「自分のヨットの確かさだって?もともとおれにはセンスなんてなかったんだ!!」自分を責めて落ち込んで、自分を慰めて我にかえる。「次こそはうまくやってやる!」 そんなことを3年ほどやってきた。3年も経てば、自分の才能の無さに気づき、いよいよヨットへの情熱も冷めかけていた。「年齢的にももう無理だろう。10年間やれることはやってきた。」ヨットへの諦めからか、何かヨットと同等に情熱をそそぎ込めるものを探していた。そんな時にコーチングと出会った。「これだ!これなら自分の情熱と一生をかけるに値する。」 コーチングを本業にするために大京管理株式会社を退社した。退社すると当然ながら、自分に自由な時間ができた。何を思ったのか、私は日曜日になると海に出た。そして、だれよりも練習した。今さら練習したところでうまくなるとは思わなかった。腰も膝も悪く、おまけに体重が軽いというハンデもある。しかし、諦めの悪さが幸いしたのか、ある日ふと自分がうまくなっていることに気づいた。 「あれ?おれ、うまくなっている。」と、初めはそんな実感だった。少しうまくなると、もっとうまくなりたいと思い、練習や筋力トレーニングも真剣になり、上達していった。気がつけばレースで入賞できるようになった。そして、今ではレースで優勝を狙うようになっている。 私の夢は、ワールド(世界選手権)に出場すること。遠くはないが、近くでもない夢。昨日までは、夢は夢と思っていたけど、今日からの私は違う。「夢は夢のままで終わらせない。」 2007年1月1日 |
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